しあわせになりたい。

そう思わない人は、おそらくゼロです。

ただ、しあわせを感じられる人は少ないと僕は思います。

しあわせになりたいと思いながら、どんどんふしあわせになった僕が、ほんとのしあわせに気づいた道のりを紹介させてもらいます。


Q. しあわせになるには、努力が必要じゃないですか?

A:たしかに。努力することは大切だと思います。ただ僕は、しあわせになるための努力と、しあわせから生まれる努力は、まったく別物だと考えています。

しあわせになるための努力は、どこまでいっても終わりません。


Q. お金があればしあわせになれますよね?

A:お金があると、できることは増えます。ただ僕は、お金はしあわせの道具であって、しあわせそのものではないと考えています。

お金を得るために必死になっていたころ、僕はどんどんつらくなっていきました。


Q. じゃあしあわせってどこにあるんですか?

自分のなかの状態です。くわしくは読んでみてください。


しあわせは外にあると信じていた

スローライフやシンプルライフという言葉に憧れながらも、僕はずっと外にしあわせを求めていました。

お金があれば、あれを手にすれば、あそこに行けば、しあわせになれる。そう信じて、努力しました。

収入を増やそうとしました。欲しいものは手にいれました。

でも、つらくなるばかりでした。

手にいれるたびに、次の何かが欲しくなる。満たされたと思った瞬間にまた空っぽになる。

なんだろう、塩水をのんでいるようだ。飲めば飲むほどノドがかわく。そんな気持ちになっていく。

会社辞めたい、生きづらい、自分らしく生きたい。そんな気持ちがどんどん大きくなっていきました。

しあわせを追いかけるほど、しあわせから遠ざかっていく。そのことに当時の僕は気づいていませんでした。

しあわせを「思いだした」瞬間

あるとき、気づきました。新しく手に入れたのではありません。思いだしたのです。

自分こそがしあわせなんだ、と。

残金500円、社会200万円、無職だったのにです。

一瞬でしあわせになりました。世界が変わりました。

正確にいうと世界は何も変わっていない。ただ、見えかたが変わりました。

もともと自分の中にあったものを、いつの間にか忘れていただけと気づきました。

子どものころのような自由に発想をして、自分の世界をつくりだしていたころの、あの気持ち。

自分らしく生きるとか、お金より時間とか、そういう話の根っこにあるのは、子どものころのような生きかただと僕は思っています。

しあわせは自分そのもの

宇宙ルールでいうと、僕たちが自分と呼んでいるものは、今この瞬間にしか存在しません。過去のふしあわせも、未来のしあわせも、実はどちらも幻です。あるのは今だけ。

そして今のあなたは、実はすでにしあわせなんです。

しあわせになりたいと思うとき、人はしあわせではない自分を前提にしています。それ自体が、しあわせから遠ざかるのです。

あなたの宇宙の中心は、あなた自身です。

その中心がしあわせであることを思いだす。ただそれだけで、世界はしあわせな世界になります。

社会不適合者な僕が、福岡県古賀市の日土水むらで、ゆるっとふわっと心地よく生きていられるのは、そのことを思いだしたからだと思っています。

しあわせになろうとしなくていい

自給自足や移住、半農半Xを選ぶ人が増えているのは、外にしあわせを求めることにつかれた人が増えているからだと思います。

でも、だからといって「内側にしあわせを求めよう」と努力する必要もありません。それもまた、しあわせになるための努力になってしまうから。

ただ、思いだすだけでいいんです。

そこらへんにいるフツーの自分が、たまらなく愛おしい。そう感じられる瞬間が、しあわせそのものです。

たまにはSoraでもながめましょ。そんな余白の中に、しあわせはずっといます。


あなたにとって、しあわせはどこにありますか?

もし一緒に探してみたいと思ったら、よければ話をしましょう。