「そこそこしあわせ」

自分に言い聞かせたことありませんか?

「そこそこしあわせ」とは不満はあるけど致命的な不幸ではない。そんなマイルドな現状維持です。このそこそこしあわせが、本当のしあわせから外れるんじゃないかと僕は考えています。

この記事では、なぜ多くの人がAI時代という大きな変化が起きていても動けないのか、その構造的な理由を仮説として書いていきます。

という僕も動けないトキがありました。人によっては、

「あんたはいいよねぇ! すごいよねぇ! それにくらべてオレなんてさぁ! あぁ普通だよ。そこらへんにいる普通の人、フツーオブフツーのチャンピオンさぁ!!」

と東京03の角ちゃんのように、ブチギレる人もいるかもです。でも、それは僕も一緒でした。この記事を読んで、あぁ動くのって面白そう。

そう思ってくれたらうれしいです。


Q. 変わりたいとは思っているのに、なぜ行動できないのでしょう?

A. 「意志が弱いから」と自分を責めていませんか。ただ僕は構造の問題だと考えています。動けないように設計された環境の中にいるだけで、あなたの意志の問題じゃないと思います。


Q. 「生きづらい」と感じているのに、会社を辞める踏ん切りがつきません。

A. リスクを取れるかどうか、ようするに自己責任という結論になりがちです。ただ僕は、長年「正解を待つこと」を訓練されてきたからだと思っています。


Q. 具体的にどんな構造があるのでしょう?

A. 詳しくは読んでみてください。あなたにとって何かヒントになるかもです。


「そこそこしあわせ」というオリ

茹でガエルという話を知っていますか。

熱湯に入れたカエルはすぐ逃げるけど、水からじわじわ温めると逃げ出すタイミングを失う、という話です。

実際、そういう実験がされたわけではないようですが。

今の社会はまさにこれで、SNS、サブスクが保証する快楽や娯楽。

月給が保証する生存。

致命的な不幸じゃないから、動く理由が見つかりません。

自分だけじゃなく、他の人もそこから出ていかないよう、みんなで見張りあっているようなものです。

これが「そこそこしあわせ」というオリです。

AIやスマホは、あなたが見たいものだけを見せつづけます。不快なものをなくし、心地よいものだけをとどける。

それは親切なようで、現状を突破しようとする意志、いわば動物としての人間の本能ををじわじわと削いでいきます。

スローライフや田舎暮らしへのあこがれが頭をよぎっても、

「でも今の生活、そこまで悪くないしな」

と思った瞬間に、その扉は静かに閉まるように感じちゃいます。

そして、それを何度も(2000年以上)つづけるうちに魂レベルであきらめちゃうんだと僕は思っています。

あなたはどう思いますか?

「しばられること」への慣れ

学校で何年すごしましたか?

マジメにがんばりましたか?

その学校で訓練されたのは、「正解を待つこと」だったんじゃないでしょうか。

これは学校が悪いとかいうわけではありません。別に先生が、なにか悪意をもってそうしようと考えていないはずです。

先生が黒板に書いたことをうつし、求められた答えをだす。

会社に入ってからも指示を待ち、最適に評価される行動をえらぶ。

何十年もこれをくり返すと、「自分で人生をプログラムする」という感覚そのものが静かに消えていきます。

ムチで叩かれるドレイは逃げようとします。

でも、快適なオリのなかにいるペットは逃げかたを忘れる。忘れるし逃げようともしません。

これを「自発的隷属」といいます。

強制されていないのに、自分から従うことを選んでしまう状態です。

脱サラや移住を考えている。でも動けない。そんな人の多くは意志が弱いんじゃなく、人間としての当たり前をわすれているんだとおもいます。

「ダース単位の言いわけ」は防衛本能

変わろうとすると、言いわけが出てきませんか。

「お金がない」「家族がいる」「今は時期じゃない」「もう少し準備してから」

これって実は脳の防衛本能です。

変わることは自ら責任を負うということ。

うまくいかなかったとき、言いわけできない状態に自分をおく。

それが怖いから無意識に「やらない理由」をかき集めるわけです。

これは自尊心をキズつけずに現状維持をえらぶための、人間に備わった機能です。

そして、呪縛とも言えます。

言いわけが出てきたとき「自分はダメだ」と思ったりしませんか。

でも、それでいいし、それがいいんです。

「あぁ自分が自分を守ろうとしているなぁ」と、引いて見てみましょう。

それだけで景色が変わることもあります。

「感じないこと」による思考停止

一番やっかいな話をします。

ほとんどの人の生活が画面のなかだけで情報が完結するようになって、身体をつかう機会が減っています。

土をさわらない、雨に濡れない、腹が減ったらスーパーやコンビニにいけば解決する。

そうすると危機を察知する本能的なアラートが鳴らなくなります。

パーマカルチャーや自給自足が注目されるのはロマンじゃなく、生の手ざわりや体を動かすことを取りもどす、全人類の渇望じゃないかと思っています。

そうすることで「感じない」から「感じられる」ようにもどるんです。

AI時代は「感じられるチカラ」が弱くなるのを加速させるリスクがあります。

画面の中で最適解をあたえられ、自分のなかにある「なんか違う」と感覚がすこしずつ消えていく。

気づいたときには選択肢が見えなくなっている。

静かなる包囲網です。


動けないのは、あなたのせいじゃない。ただ、構造が見えると、少しだけ自由になれるはずです。

あなたが今いる場所は、自分で選んだ場所ですか?

よければ一緒に考えませんか?