「シャドウとの統合」という言葉、聞いたことありますか?
シャドウとの統合とは西洋占星術のかんがえで自分の中の「見せたくない部分」を否定せず、まるごと受け入れていくプロセスのことです。
今回は心の闇を才能としてとらえ、いいも悪いもふくめて、自分の全てを認めることで人生が変わるという話です。
Q. 「心の闇」って、悪いものじゃないんですか?
ネガティブなオーラや暗い雰囲気は「直すべきもの」として思われがちです。ただ僕は、それだけ強いエネルギーを持っているということだと考えています。闇が深い人ほど、光に変わったときの輝きも大きいんです。
Q. 生理的に無理な人がいるのは、自分の問題ってことですか?
だれかをイヤだと思うのは、じつは自分の嫌いな部分とされています。心理学では「投影といいます」。そんなイヤな部分を「あなたのせい」と責めるのではなく、「自分の中にもそういう部分があるんだな」と気づくきっかけにしてほしいと思っています。詳しくは読んでみてください。
心の闇は、実は最強の才能だ
「あの人がいると、なんか空気が重くなる」
そんな人、いますよね。
ただならぬ負のオーラを放っている人。でも僕は、それって相当な才能だと思うんです。
それだけのエネルギーを持っているということは、方向さえ変われば、周りが「まぶしくて見えない」と言うくらいに輝ける可能性を秘めているということだからです。
「生きづらい」「自分らしく生きられない」と感じている人ほど、実はそのエネルギーの総量が大きい。社会不適合者と呼ばれるような人が、時代を変えてきた歴史は枚挙にいとまがありません。
闇を消そう、手放そうとするのではなく、「この力をどう使うか」に目を向けてみることです。
もう、それはそれはピカーって光って、
「うわ、見えへん。まぶしすぎんで自分」
と関西人以外からもいわれます。たぶん。
シャドウとの統合——人間の最終課題
西洋占星術や深層心理学には「シャドウとの統合」という考え方があります。
生理的に受けつけない人って、いますよね。僕もいます。
ちなみに元嫁です。
「あの人、なんか無理」
となる相手でした。ですが、あるとき気づいたんです。ちょうど別居をはじめたころです。
一人で家でマインスイーパーしていたとき、
「ん? それって自分がキラいな自分の部分だったんじゃね? それが相手に投影されていたんじゃないかな」
と気づいたんです。だからといってやり直そうとは思いませんでしたが出会いに感謝できるようにはなりました。
嫉妬する自分
意地悪な自分
弱音を吐く自分
人に頼れない自分
あなたのなかにもいますよね? 見せたくない自分が。
誰かを無理と拒否している部分。それも全部自分なんです。
無理せず統合していく
大切なのは、それを押し殺すことではなく、「お前もいるんだな。よし、一緒に生きていこう」と仲良くすることです。
それがシャドウとの統合です。
多様性のある社会で自分らしく生きるというのは、まずは自分の全部を認めることが出発点じゃないかと思っています。
闇が深いほど、光になったとき輝く
自分を否定するのがクセになっている人は、なかなかむずかしい課題です。
ですが、
闇が深いということは、それだけ傷ついて、受けとめきれないことがあり、そして孤独を感じてきたということです。
そういう人ほど人の痛みがわかるんです。
闇も深いぶん、優しさも深いわけです。その優しさがまだ「闇」の形で出てしまっているだけです。
「もっと頑張れ」
「もっと生産性を上げろ」
という声でみたされる資本主義の仕組みのなか。
そこで歯車の一部になっていたとき、自分を責め続けていた時期は僕にもあります。
そして、あるとき自分のダメな部分をみとめました。
「だめな自分でいいじゃないニンゲンだもの。これがなきゃ僕が僕じゃなくなる」
一気に生きることが楽になっていきました。
そして、いまは福岡県古賀市で「日土水むら」の活動をつうじて、資本主義の外側に出た暮らしを実践しています。
暗い自分はダメと思っているかもです。ただ、それも全部ひっくるめて自分だと認める。今は闇だけど、光にもなれると信じてみましょう。
「それってアナタの主観ですよね。証拠とかあるんすか?」
とひろゆきさんみたいな人につっこまれたら、拳をつよくにぎりまっすぐ突きだしましょう。
みんながハッピーオーラを出しまくれる社会へ
社会に「負のオーラ」があふれているように僕にはみえます。
ほとんどの人が「自分はダメだ」と思いこまされている社会に僕は耐えられなりました。
だから僕は社会不適合者として生きています。
「もっと頑張れ」「もっと成果を出せ」
だれかの声にプレッシャーを感じ、自分をみとめる余裕がなくなっている気がするのです。
いまスローライフやシンプルライフを求める人が増えています。それはそんなプレッシャーもういらんという、ほとんどの人の声がカタチになっているんじゃないでしょうか。
勝ち組も負け組もいない、みんなが輝ける社会のほうが楽しいと思うのです。
パーマカルチャー的な発想でいえば、一つの要素が弱くても、全体のつながりで補いあえるシステムが強いよということです。それは人間社会も同じだと思うのです。
「お前、めっちゃ輝いてるな」
「ありがとう、おまえもな」
そう言いあえる関係が増えると、次第に闇は自然と薄くなっていく。
そのとき世界はどうなっているでしょう。その未来の一つとして日土水むらというコミュニティをつくっています。
嫌いな自分もいる。好きな自分もいる。それが自分です。
それでいいじゃないか、それがいいじゃないか
あなたは自分のどこを「見たくない」と感じていますか?