「悟り」なんて聞くと、山にこもったお坊さんや、すんごい人だけが手にするものだと思っていませんか?

実はそれ、大きな勘違いです。

「悟り」とは、欠点だらけの自分をそのまま面白がれる視点のこと。 特別な修行や才能は関係ない。

これからの時代、AIと共創していく世界ですべての人がインストールすべき「新しい心のOS」のようなものだと僕は考えています。


Q:そもそも「悟り」ってなに?

A:世間では難しく語られますが、僕がたどり着いた答えはとてもシンプルです。それは、「そこらへんにいるフツーの自分を楽しむこと」

特別な何かになろうとせず、欠点だらけで社会にうまくなじめなくても、

「ま、いっか。これも一つの作品だよね」

と面白がれる視点のことです。


Q:魂ってどのように成長するの?

ケン・ウィルバーという人がいます。彼は間の意識(魂)には成長のプロセスがあると説きました。

ウィルバーがいう成長は「前の自分を捨てること」ではなく、「ダメな自分すべて丸ごと包みこむことやないか? しらんけど」と言っています。


Q:悟りを開く「具体的アクション」

A:どうすれば悟れるのか? 「自分を癒しながら進むこと」にあります。くわしくは記事をよんでください。

ポイントは呼吸です。


そもそも悟りってなに?

悟りで代表的なのはブッダさまです。

そもそも、彼はなんの悟りをひらいたのでしょう。

僕が思うに、

あるがままに世界を見ること

です。なんの話かというと、僕たちはモノの見方がゆがんでいます。たとえば、うっすらとしか見えない道路で黒いモノが落ちているものを反射的に、

「うわ、へびだ!」

とびっくりしたりします。でも、よく見てみるとチューブ状のゴムだったという体験をしたことがあったり、そんな人とあったことがあるはずです。

僕たちのほとんどが、この世界にあるものをちゃんと見れていません。

いままでに得てきた体験や感情、そして知識をもとに、都合よく目のまえのことを変換するのです。

それはユーが勝手にかえちゃってるわけだよ、ようするにさぁ、それってユーのつくったマボロシなんだぜ。ブラザーシスターよ。

そう説いたんじゃないかと僕はとらえています。

その他にも、

四諦(したい)

ブッダが悟った内容の基本は「四つの聖なる真理」に集約されているとされています。

苦諦(くたい): 人生は思いどおりにならない。それでいいんだ、それがいいんだよと捉える。

集諦(じったい): 苦しみの原因は執着や渇愛にあるんだ。でも、それでいいし、それがいいんだよ。

滅諦(めったい): 執着をなくせば苦しみは消滅するかもよ。でも、まあいいじゃん。ムリにすてる必要はないぜ。

道諦(どうたい): 苦しみを消し去るために八正道というのがある。やったほうがいいけど、まあ好きにやんなよ。

縁起(えんぎ)であんたの世界はまわる

この世の良いこと、悪いことは相互依存。必要だから存在していて、それは予定調和とブッダは言ったとか。

縁起:独立して存在し続けるものはなに一つない。すべては関係性がある。

諸行無常:すべてはつねに変化していて永遠や完璧なものはない。

諸法無我:自分という固定されたものはない。「オーデュボンの祈り」に出てきたカカシだよ、自分というものは。

悟るってどういうこと?

「涅槃(ニルヴァーナ)」が悟りの最終ゴールとされています。

ニルヴァーナとは「火が吹き消された状態」を意味しています。

どんな状態かというと燃え上がるような感情(欲・怒り・無知)がしずまり、何ものにもみだされない心の平安を味わっている状態です。

そのためにやること

そのためになにをすればいいかというと瞑想です。

一気にハードルがあがったかもです。瞑想? 瞑想ってあれでしょ、心を無にするという、なんかの苦行だよね。

なんで、そんな黙って座ってなきゃいけないのさ。

おっしゃるとおり、今でこそ瞑想もマインドフルネスとかいって、一般的になりつつあります。

それでも自分がいざそれをやろうとするとハードルがあがります。しかもそれを習慣にする必要があるからです。

最初の一歩

まずは姿勢をただして、一回深呼吸するところからはじめましょう。

そこから自分のペースで地味に地道にトコトコと瞑想をすればいいんです。

鬼滅の刃でいう「全集中の呼吸」をできるようになることです。人によっては刀で鬼を斬れるかもです。

昔のナウなヤングのみなさまは、ジョジョの波紋法のことです。

とはいえ、そんなことできなくていいのです。

たどりつく先

現代の悟りってなんでしょう。

それは「そこらへんにいるフツーの自分、そんな自分の人生が楽しくてしょうがない」と思えるようになることです。

なれる人はなれるかもですが、いまの社会の仕組みで生活に心配がないくらい、お金を稼げる人って、日本人だと3%くらいです。

そして、それくらいお金を稼いでもしあわせにはなれません。生活が便利にはなるけど、それはしあわせじゃなかったそうです。

そんな社会でしあわせになるには心のほうを調えることです。そして、そのきっかけが瞑想です。


リラックスして、ゆっくり長く呼吸する

まずは身体をゆるめる。

身体と心を観察する

「あ、今モヤモヤしてるな」「胸がザワつくな」という感覚を、ただ感じる。ジャッジしない。

ただみる

最初は「この不安を消そう」とコントロールしたくなります。それを「あぁ、不安があるな」と、ただ見つづけることです。


「ただ見続ける」練習をつづけていくと、ある時ふっと、

「そこらへんにいるフツーの自分が、愛おしくてたまらない」という感覚がえられることがあります。

社会不適合者?むしろそれがいい。

特別なコトできなくてもいい。テレビの向こうで無双している野球選手はもちろんスゴイ。

でも自分もすごい。いまこうして生きている。それだけで100点満点。

今ここでただ息をしているだけの不完全な自分が最高に愛おしい。

この安心感こそが"新OS"です。それを手にいれたとき、どんな未来でもあなたは軽やかに生きていけるはずです。

社会不適合者でいい。むしろそれがいい。欠点だらけのフツーの自分が最高の出発点なんだと、僕はそう考え今日も福岡の古賀でトコトコやっています。

あなたは今、自分のことを面白がれていますか?