あなたはしあわせですか?

もしかしたら、そこそこしあわせなのかもです。

不満はない。でも満足もしていない。ただ与えられたことをして生きる。そんな状態です。

僕はこれを心の生活習慣病とよんでいます。自覚症状がうすく気づかない。

でも、放置すると少しずつ悪化していく。身体の生活習慣病とおなじです。

今回は、そこそこしあわせという病の正体と、そこから抜けた先にある感覚について書きます。


Q. そこそこしあわせって、悪いことなんですか?

A:悪いというより、健全な心の状態とはいえないと僕は考えています。生活習慣病も今すぐ死ぬわけじゃないけど、放置していいものじゃない。それと同じです。


Q. じゃあ、どうすればいいんですか?

A:一般的には「やりたいことを見つけろ」「行動しろ」と言われます。ただ僕は、まず自分を調えることが先だと考えています。やりたいことは、調えた先に見えてくるものだから。


Q. 抜け出すのに、どれくらいかかりますか?

A:くわしくは読んでみてください。ただ一つだけ言うと、すぐにはムリです。


心の生活習慣病、あなたはいくつ当てはまりますか?

① ふだんの生活に不満はない。でも満足もしていない

「まあ、悪くはないか」が口癖になっている。怒るほどでもないけど、喜ぶほどでもない。感情がだんだんなくなっている。

② 他人の人生がよく見える

SNSで誰かの投稿を見るたび胸がざわつく。でもそれを「うらやましい」と認めるのも違和感がある。

③ 自分を否定するのがデフォルトになっている

だれかとくらべて「自分なんて」と反射的に反応する。気づかぬうちに自分で自分を小さくしている。

④ この生活がこのまま続くと思っている

変わりたいと思ってはいる。でも「どうせ変わらない」と同時にかんえる。変化を想像する前にあきらめている。

⑤ でも、その生活にどこか違和感がある

「おかしい」とまでは言えない。でも「これでいいのか」という感覚が、ふとした瞬間に顔を出す。

⑥ 自分にできることなんて何もない、と言い切れる

「あなたの得意なことは?」と聞かれると、本気で困る。特技も才能も思い浮かばない。それが謙虚なのか、本当にそう信じているのか、自分でもわからない。

⑦ 他人が努力していることを、自分にはできないと思う

「すごい!」でも「自分には無理」がすぐ来る。挑戦する前に自分には向いていない、才能がないという結論が出ている。

心当たりがあれば「そこそこしあわせ」という名の心の生活習慣病かもしれません。

なぜ「そこそこしあわせ」が正解だと思うようになったのか

一般的には「学校教育がそうさせた」という話をよく聞きます。

決められた時間に起きて、決められた場所にいって、評価を受ける。

12年間そうやって暮らすなかで「枠の中にいることが正解、その他大勢にまぎれる」という回路を脳につくるという説です。

たしかにそれも一因だと思います。

とはいえ、僕はそれだけじゃないと思っています。むしろ、こっちのほうが問題じゃないでしょうか。

それがなにかというと、みんなが無意識につくりあげた空気です

誰かが意図してすりこんだわけじゃありません。でも、まわりの全員が「これが普通、これが常識」として生きていると、それが正解に見えてきます。

そして、やっかいなのがその正解をみんなで守ろうとすることです。僕のような社会不適合者の発言が受け容れられない。

「言っていることがわからないわけじゃない。でもそれは異常だ」

「そんな生活、あぶないし楽しくない。いいからこっちにこい」

と存在を否定しようとします。ただ残念なことに聞こえていません。

魚は水の存在に気づかない、という言葉があります。

「そこそこしあわせ」も同じです。みんなが水の中で泳いでいるから、それが水だと気づけない。

おかしいと感じる感覚すら、おかしいと思うようになる。

だから「誰かが悪い」という話じゃないんです。みんなで無意識につくって、守ってきた。いってしまえば地球のルールだと僕はとらえています。

「そこそこしあわせ」を抜けるステップ

それじゃ、どうしようもないよね。社会に違和感があって、居場所がない自分はどうしようもないじゃん。

んなことはありません。正直、いますぐどうこうはなりませんが、抜ける方法はあります。

ステップ1:まず、調える

まず自分を調えることです。

呼吸でも、睡眠でも、食べるものでも、運動でも、なんでもいいです。

ただ「自分をととのえる」ことを意識することです。

ポイントは自分がスッキリした感覚になれることをやり続けることです。

そうすると、いままで気づかなかった違和感に気づくようになります。

ステップ2:違和感を無視しない

調えることで心と身体の感度があがると、

「あれ、なんかこれちがうな。スッキリしない、心地がわるい」

そんな感覚がひろえるようになります。

大事なのは、その違和感を「気のせい」にしないことです。

「なんでこう感じるんだろう」と少し立ちどまって考えると、本や人、言葉との出会いがはじまります。

いまはAIというすぐれた相棒もいます。

だんだん、ものごとの本質が見えはじめてきます。

ステップ3:魂の闇に入る

けっこう楽しいんですが。そこそこツライかもです。

本質が見えはじめると、いままで無意識にさけていた問いが浮かびあがってきます。

「どうせ死ぬなら、なんで生きているんだろう」

「自分はなにがしたいのか。そもそも、なにができるのか」

「なにをすれば魂の充実をみたせるんだろう?」

「そもそもで自分ってなんだろう?」

僕も、それにはまった時期がありました。

答えが出るわけじゃない。正解もない。でも、続けるうちにそれが当たり前になりました。

ケン・ウィルバーがこれを「魂の闇」と呼んでいます。暗いトンネルのなかで自分と向きあう時間です。

この最終段階で、西洋占星術でいう「シャドウとの統合」がはじまります。

ステップ4:気がつけば、生きるのが楽になっている

やっかいなことに「魂の闇を抜けたぜ、ヒャッハー」という瞬間はありません。

ある日突然、光が差すわけじゃないんです。

気がつけば、少しだけ呼吸が楽になっている。少しだけ、自分が面白くなっている。

くりかあえすうちに、ふと、「そこらへんにいるフツーの自分が、愛おしくてたまらんとですばい」という感覚が僕はやってきました。

誰かに認められたわけじゃない。何かを達成したわけでもない。ただ、今ここにいる自分が、なんか好きだと思えている。

それが魂の闇をぬけた状態の一つです。

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