「ハイブリッドな縄文時代」とは、現代の便利さを手放さずに、縄文人のように自分らしく、争わず、分かち合いながら生きる暮らしかたです。これは僕が12年かけてたどりついた、もう一つの地図です。
そんなハイブリッドな縄文時代を日土水むらの活動で現実にしようと僕はかんがえています。
実は日土水むらというのは、活動実体がありません。
むらというのに、むらをつくるつもりはないし、みんなを囲ってカルトになろうとかもありません。
いちおう、
「オマエも日土水むらのむらびとにならないか?」
と勧誘はしますが、う〜んなんというか、
「よければ一緒に日土水むらごっこしませんか?」
くらいのものです。
この活動が、これからの日本のひな型の一つになる。それを夢見て、日々活動をしています。
とはいえ、それではほとんどの人がついてきません。
ということで日土水むらの発起人である僕は「ハイブリッドな縄文時代」の生活を実現させようとかんがえています。
ハイブリッドな縄文時代って?
社会からはぐれたのが38才のとき、2026年の今から12年前です。
「狂っている、この世の中で普通のフリをして生きるのはムリ」
とかんがえていたころです。
それじゃ、どんな生活が理想かを考えたとき、ふとわいてきたのが「ハイブリッドな縄文時代」です。
高坂勝さんの「減速して自由に生きる」がバイブルになったころです。
高坂さんはその本で、
ということを言っていました。そして、
「どんなに美味しいレストランよりも夕日をみながら七輪で焼いたサンマと一緒にビールを飲んだほうが贅沢」
という体験をしたそうですが、その光景がはっきり見えたのです。
なんだろう、この感覚。昔に味わったことがある。ニュージーランドにいったとき? いやちがう、もっと昔。
いつだろうなぁいつだろうなぁ
あ、生まれる前だ。
いつだ? あ、縄文時代だ。
縄文時代って、なんかオノもって「ウッホウッホ」と言っていたころでしょ?
なんか変なカタチの器をつくっていたころでしょ?
そう思っている人はおおいかもですが、とっても平和で人々がしあわせに生きていた時代だそうです。
いまの社会の便利なところはのこしながら、人それぞれがしあわせに生きられる生活。それがハイブリッドな縄文時代の生活です。

道具や文明とのつきあい方
高坂さんのセリフだだパクリですが、
「文明はこれ以上、発達する必要はない。あるとすれば勝手にズボンをおろす機能がついたトイレくらい」
そんな高坂さんの願いもむなしく、AIがうまれたわけですが。
ただ、使いかた次第だと思うのです。いまのように"便利に依存”することをやめることです。
自分を軸にして、必要なものはもてばいいし、いらないものは捨てる。大事なのは、
自分らしさ
自分が心地いいか
だれともくらべる必要もありません。
だれとも争いません。
みんなちがって みんないい
そうやって多様性のある社会を実現させる。それは不可能でしょうか?
そんなゴールのために
不可能といえば不可能かも。でも、あきらめるという選択は、僕にはありません。
たとえ僕が生きているうちに達成できなくてもいいのです。まず、その種をまきたいのです。
そして、これは僕だけではないはずです。いま世界でいろんな人たちが活動をしています。
その答えをもっている人はいません。みんながあれこれしながら、
「なにが正解かわかんないけどさぁ、これもいいでしょ?」
「たしかにそうだね。じゃあ、これもいいじゃん?」
一人ひとりが答えを持ちあって、コミュニティをつくっていく。
まざったり、はなれたりしながら、ウヨウヨ動くアメーバのようにコミュニティが動いていく。
大きくなるのもありだし、おんなじものをコピペするように増えるのもあり、それがなんとなく国家というものをつくる。
それが未来の形になるし、なっていっています。
そんなハイブリッドな縄文時代の生活を体験できる場所。それが、
「たまにはSoraでもながめましょ」
というお店です。高坂さんのだだパクリですが。
おまえも社会不適合者にならないか?