「なんでこの人、こんな考えかたをするんだろう」
そう頭を抱えたことはありますか。
「ないなぁ。だってそんなもん時間のムダでしょ」
というかたは、ここからは役に立たない情報です。
頭を抱え、悩んだことがある人のなにかヒントになればとねがっています。
さて、価値観がちがう、優先順位がちがう、見えている景色がちがう。わかり合おうとするほど、すれ違いが深くなっていくことがつらい。
そんな方々「それぞれちがう宇宙で生きている」という感覚、ピンときますか? 「人はそれぞれ、まったく異なるフィルターで世界を認識している」んです。 この記事では、その感覚を自分に落としこみ、人間関係をどうラクにしていくかを書いていきます。
Q. 相手を変えたいと思うのは、わがままなこと?
わがままじゃないと思います。 「もっとこうしてくれたら」と思うのは、相手への関心があるからこそで、むしろ自然な感情です。 ただ僕は、その思いが「変えようとする行動」に変わったとき、じわじわと消耗すると感じています。
Q. 価値観のちがいは、乗り越えられるもの?
一般的には「対話を重ねれば理解し合える」と言われます。 ただ僕は、「理解し合う」と「同じ宇宙に住む」は別の話だと思っています。 ちがいはちがいのまま、それでも隣に座れる関係が、案外いちばんラクだったりする。
Q. じゃあ、具体的にどう実践すればいいの?
くわしくは本文を読んでみてください。
「相手を変えたい」は、愛情の裏返し
相手を変えたいと思うとき、その奥には決まって「こうなってほしい」という願いがあります。
もっと気遣いのある人になってほしい。もっと話を聞いてほしい。もっと一緒に成長してほしい。
その願い自体は悪くないです。むしろ、相手を大切に思っているからこそ出てくるものだと思います。
でも、願いが「変えようとする力」に変わったとき、何かがこじれ始めると思います。
相手の言動をチェックするようになる。
変わらないことへの失望残高が増えていく。
「なんでわかってくれないの」が「この人はダメだ」に変わっていく。
福岡でカフェ会やセッションをしながら、たくさんの人の話を聞いてきました。ほとんどの人が仕事や家族、パートナーを変えたいという悩みをもっているのかなぁと感じました。
「じゃあ、一人でいればいいじゃん。一人になっちゃえよ。ユーが一人でいればいいんだよ。一人ってたのしいよ」
と全国ボッチ連盟会長の僕はおもいますが、それができればだれも苦労はしません。
みんな、同じように悩んでいる
心理学に「社会的証明」という考えかたがあります。
人は「みんながそうしている」と知ると安心する。逆に言えば、「自分だけが悩んでいる」と思うと孤立感が増すようです。
ちなみに僕は、いっさいそんなことはなく、逆にみんながそうしているとやりたくなくなります。
魂レベルで、そんな思考パターンなんです。そうやってボッチがデフォルトの僕の意見ですが、
相手を変えたいのに、うまくいかなくて消耗する。それは精神が成熟していないからでも、感情をコントロールできてないわけでもないのです。
「たまにはSoraでもながめましょ」の活動のなかで、
-会社をやめたい
-イヤな人間関係をやめたい
-ストレスから解放されたい
-もっと自由に生きたい
そんな思いを持ってくる人たちと話をしています。悩みを抱えているのは、あなただけじゃないのです。
認知的不協和という、消耗のしくみ
第1回に紹介した認知的不協和という心理学の概念。
認知的不協和とは自分の考えと相手の考えがぶつかるとき、脳はそれをストレスとして処理する機能です。
相手を変えようとすればするほど、変わらない現実にイライラし心がすりへるということです。
意志の問題でも愛情の深さの問題でもなく脳のしくみなわけです。
そのしくみを知ったうえで、
-相手を変えようとすることにエネルギーを使い続けるか
-それとも自分の宇宙を整えることにエネルギーを使うか
この2つをうまく使いこなせばいいんです。
ちがいを楽しむ、三つの実践
じゃあなにをすればいいか。
相手を変えようとしていることに気づく
「なんでこうなるんだろ」
「なんでこの人はこうなんだろう」
と思ったら、
「あ、いま変えようとしてるな」
と一歩引いてながめるんです。気づくだけでラクになれます。
自分の宇宙を整えることに集中する
だれかにつかっていたエネルギーを、自分の暮らしや心・体をととのえるのにつかうんです。
自分の部屋をかたづける、好きな本を読む、古賀市にきて空でもながめるなど。
自分の宇宙が整うと、
「あいつをこうしてやろう、ああしてやろう」
という執着がへっていきます。
ちがいを観察する
「なんでこう考えるんだろう」
そんな自分の思いをせめるのではなく、興味をもった目線でみるんです。
「この人の宇宙には、こういう景色があるんだ」
そう思えたとき、すれちがいがおもしろく見えてきたりします。
多様性とかコミュニティとか、そういう言葉が好きな人ほど、実はちがいに苦しんでいたりします。実は僕もそうです。
それを消そうとかせず、興味をもって観察する対象としてみるだけで、僕自身もすごくラクになりました。
「それぞれちがう宇宙で生きている」
そう思えるようになったら何が変わるでしょう。あなたはそのちがいを、どんなふうに受けとりますか?
空でもながめながら、すこしだけ、自分に問いかけてみてほしいんです。