やりたいことがある気がする。でも、体が動かない。

何が好きなのか、何が心地よいのか、聞かれてもよくわからない。

そんな感覚、ありませんか?

今回は心の生活習慣病の「体と心が別物グループ」についてです。自分の感覚が自分に届かなくなっている状態のことです。


Q. やる気がでないのとは、ちがうんですか?

A. やる気の問題は「エネルギーが足りない」という話です。体と心が別物になっている状態は何をしたいかという「信号」そのものが、自分に届いていない感じです。エネルギーがあっても、どこに使えばいいかわからない。これはサボりでも無気力でもなく、長年の習慣が感覚を鈍らせた結果だと僕は考えています。


Q. 子どものためにがんばっている。でも、なにか違う。この感覚も関係しますか?

A. おそらく、深く関係しています。「何か違う」という感覚は、心の奥から届いているかすかな信号です。でもその信号を、毎日の忙しさや「これでいいはずだ」という思いこみが、かき消してしまっている。体と心が別物になっている人ほど、この信号を「気のせい」で終わらせやすい。くわしくは本文を読んでみてください。


感覚が麻痺するのは

「自分が何をしたいかわからない」それって弱さや甘えだと思っていませんか。

ちがいます。長年かけてつくりあげた習慣の結果です。

「自分はこうしたいんだけどなぁ」

そんな心から聞こえる合図を無視しすぎた結果なんです。

それは学校で「みんなと同じにしなさい」と育てられ、会社で「感情を出すな」といわれ、家庭では「家族のために」と役割をはたそうとする。

そのくり返しのなかで、自分の感覚よりも「外側の正解」を優先することが習慣になっていく。

資本主義のシステムのなかで安定した仕事でお金をもらいつづけることが「普通」になっていくほど、内側の声は聞こえづらくなります。

そして内側からも「どうせ聞いてくれないしな」と合図をださなくなります。

これは心の生活習慣病によってつくられた感覚の麻痺です。

「何が好きか」が答えられなくなるのは

シンプルライフやミニマリストな暮らしにあこがれる。

移住や田舎暮らしが気になる。

でも、いざ「あなたはどうしたいの?」と聞かれると頭がフリーズする。

それは意志が弱いからじゃなく、感覚のアンテナがサビて鈍くなっているだけです。。

感覚はつかわないと鈍ります。

「自分がどう感じるか」

より

「これが正解か」

をさきに考えるクセがつくと感覚より思考がさきに動くようになるんです。

脱サラしたい、会社辞めたい、自分らしく生きたい。

そう思いながらも「でも自分に何ができるのか」という思考がすぐ出てくる。

これって感覚より論理を優先している状態です。もちろん、それも生存するためには大事なことです。

ただ、それはバランスがくずれていると僕はかんがえています。

感覚でかんじる、

「あ、これいいな。なんとなくだけど」

それをカタチにするために論理をつかうこと。それがバランスがとれている状態です。

僕が感覚をとりもどしたのは

福岡県古賀市に来て、「たまにはSoraでもながめましょ」と言いながら、それを人にも押しつけるようになったのは感覚を大事にするようになったからです。

きっかけは「ホ・オポノポノ」です。

話をすると長くなるので、

「ありがとう、ごめんなさい、ゆるしてください、あいしてます」

と唱えつづけるのがホ・オポノポノだと思っていてください。それが入り口です。興味のあるかたは調べてくださいね。

それを続けているうちに、

ふと空を見たとき、

「あ、きれいだな」

と思えるようになりました。田舎の空って広いんです。そして、こうして空を見あげる余裕すら僕にはなかったんです。

その感覚を"自分の感覚"として受けとれました。東京にいたころの僕は、きれいな空を見ても「感動している場合じゃない」と打ちけしていたし、そもそも空を見あげる余裕すらありませんでした。

感覚の麻痺はすぐに治るものじゃないです。ちょっとした、

「気持ちいい」「なんか嫌だ」

を大事にし続けることです。たまにはSoraでもながめませんか?

体のサインをムシしない

心の信号が届きにくくても体は正直に動いています。

なんとなく重い。あの人と話すとつかれる。ここは息がしやすい。そういう体の反応を、「気のせい」でながさないことです。

生きづらさを感じている人の多くは、この体がだすサインを無視してきたんです。

だから、どこで消耗してどこで回復するかがわからなくなっています。

お金より時間を選びたいと感じるとき、体のどこがどうなりますか?

なにかを見て心が動いた瞬間はありますか? その時、体のどこが反応しましたか?

そういう小さなサインを見つけることが、あなたの感覚のアンテナを少しずつ敏感にしていきます。

「わからない」は、スタートでいい

そう言って「はいそうですか」といってできれば問題はありません。

ほとんどの人が、

「え? どう感じるか? ……わからない」

となります。瞑想が習慣とかヨガの講師やっているとかじゃないかぎり、わからないんです。

それでいいんです。わからないまま、

「今日心地よかったこと」

それを一つだけ探してみるんです。半農半Xやパーマカルチャーに惹かれるなら、なぜ惹かれるのかを言葉にしてみる。

いま、その瞬間ふと思ったことを口にしてみたり、誰もみていなければ踊ってみたりするんです。

正解をだすより感じたコトを表現するだけです。

これが唯一の正解ってのは、この世にほとんどありません。

あるとすれば、

「自分は、いまなにを感じたか」

じゃないでしょうか。

それすらも僕が感じ、考えていることで正解ではないのかもです。


あなたが最後に「気持ちいい」と感じたのは、いつ、どんな瞬間でしたか?

まずは、その記憶に少しだけ意識をむけてみてください。