だれかの反応が気になる。気になりすぎて夜もねむれない。

「あの人、怒ってるかな」「嫌われたかな」と送ったメッセージを何度も確認する。

そんなコトありませんか?

それは「他者依存」かもです。他者依存という言葉を聞いたことありますか?

自分の気持ちや行動の基準が、誰かのために置かれすぎている状態のことです。今回はその正体と、自分を取りもどすヒントを書きます。


Q. 人に気をつかうことと、他者依存はちがうんですか?

A. 気をつかうのは人と関わるうえで自然です。とくに我々日本人はそうでしょう。ただ他者依存は「相手がどう思うか」が自分の行動の出発点になっている状態です。相手の反応によって自分の存在が安定したり揺らいだりする。ただ、これは性格ではなく長年かけてつくられた生存戦略のひとつだと僕は考えています。


Q. 家族のためにがんばることも、他者依存になるんですか?

A. 「家族のために」はすばらしいです。でも「家族のためでないと動けない」「自分だけのための時間に罪悪感がある」という状態になっているなら、それは依存のかたちに近いかもしれません。自分を消してだれかを支えつづけることは、おたがい消耗する可能性もあります。くわしくは本文を読んでみてください。


「いい人」でいることが、習慣になった

他者依存は、ある日突然はじまったわけじゃありません。

「ちゃんとしなさい」「まわりに迷惑をかけるな」「もっと空気を読みなさい」

そういう言葉を空気を吸うようにインプットしてきた結果です。

学校ではみんなと同じが正解とされ、会社にはいってもチームのためにが美徳とされ、家庭では家族のためにが役割になる。

そのくり返しのなかで、自動的に自分の感覚より外側の評価を優先します。

資本主義のシステムのなかで「役に立つ人間であること」を求めつづけると、やがて「役に立てていない自分」には価値がないと感じるようになります。

だれかに必要とされてはじめて自分の存在を確認できる。それが他者依存グループです。

ただ、これはあなただけの問題じゃありません。まわりのみんなと一緒につくってきた習慣です。

承認が酸素になっていく

他者依存がやっかいなのは、はじめのうちは優しさや責任感として機能することです。

人の役に立てると嬉しい。感謝されると安心する。それ自体は健康的です。

ところが、だんだんとその嬉しさが目的ではなくなり「承認されないと不安」という状態に変わることがあります。

いうなればだれかの反応が酸素のようになるんです。

あの人が笑顔なら今日は安心。既読がつかなければ不安。

「ありがとう」がなければ空虚。だれかからの信号で自分の状態が決まるようになる。

脱サラしたい、移住したい、自分らしく生きたい。そう思っていても「家族に反対されたら」「まわりにどう思われるか」が先に立って動けない。

そんな人は他者依存グループの傾向があるかもです。

お金より時間をえらびたいのに、だれかの目線や意見が自分を引きとめている状態です。

僕が「自分のために」生きるようになったのは

昔の僕は、自分がどうしたいかより「どうすれば迷惑をかけないか」をさきに考えていました。

母親が、そういう人だったので、僕もおなじようになりました。

誰かの家によばれても、なんか落ちつかない。食事をだされても、それに手をつけていいかわからない、しまいには食べなかったこともあります。

ぜんぶ「まわりに申しわけない」という感覚が壁になっていました。自分の感覚を大切にすることに罪悪感があったんです。

相手も僕のために、なにかおもてなししたい気持ちがあるというのはわかってはいるのです。それよりも、

わざわざ、手をわずらわせて申しわけないという感覚がつよかったんです。

実はこれ、まだあります。反射的にでてしまいます。ただ、いまは相手が僕のことを思ってしてくれている行動にこたえようと思えるので、なんかうまくできています。まあ、つもりかもですが。

自分がどうしたいか

他者依存から少しずつ抜けていくために、どうすればいいでしょう。

ポイントは一つ、

なにかを決めるとき、「この人はどう思うか」より先に「自分はどうしたいか」を自分に聞いてみることです。

そのあとに、相手のことを思えばいいのです。順番を逆にするんです。まずは自分を優先してみましょう。

わからないでもいいんです。なにかを決めるとき「自分はどうしたいか」をまず聞いてみましょう。

他者依存のパターンもそうですが、心の仕組みってすぐ変わりません。

すこしずつ行動や反応をかえていくことです。たとえば「あ、また外側を見てた」と気づくことです。

少しずつですが気持ちが軽くなっていきます。自分は「こうしたい」という思いがでてきます。

あ、もっと自分を大切にしていいんだ、もっと自分の気持ちを大事にしていいんだ、そんな気づきがかならず得られます。

だれかのために生きるのは、いいことです。

だけど、あなたらしさがなくては、だれもしあわせにはなりません。

あなたが最後に「これは自分のためにやった」と感じたのは、いつのことでしたか?

少しだけ意識をむけてみてはどうでしょう。