怒りがおさまらない。さらに怒りたくなることがやってくる。

悲しくて、かなしくて仕方なく、そのループから抜けられない。

そんなコトありませんか?

それは心の生活習慣病の「感情と自分が一体化」した状態です。

感情を「もつ」のではなく、感情に「なって」しまっているんです。

今回はその正体と距離をとる方法について書きます。


Q. 感情的になりやすい「性格」とは、ちがうんですか?

A. 性格の話にしてしまうと、変えられないものとしてあつかってしまいます。でも感情一体化は性格じゃなく習慣です。「この感情=自分の本音」と長年信じつづけてきた結果、感情と自分に境目がなくなってしまったんです。ただ僕は、これは脳が生きのびるために最適化した結果なんじゃないかと考えています。


Q. 感情をもっと出したほうがいい、とよく言われます。出すことと一体化することはちがうんですか?

A. まったくちがいます。感情をだすことは健康的です。一体化は感情が「自分」をのっとっています。「怒りを感じている自分がいる」と観察できているのが前者、「自分が怒りそのものになっている。っていうかそれすらわからない」のが後者です。くわしくは本文を読んでみてください。


なぜ感情に"なる"のか

感情を感じることは生きていれば当たり前のことです。

そもそも僕たちは感情をあじわいたくて生まれてきたと思っています。

問題は感情を「もつ」のじゃなく、感情そのものに「なる」ことです。

怒りや悲しみ、いわゆるマイナスな感情がでてくる。それは自然なことです。むしろ出ないほうが異常です。

で、理想をいえば怒っている、悲しんでいる自分をはなれたところから見られる状態になることです。

そうするとマイナスの感情そのものになることは少ないです。

生きるのもラクになります。自分も周りも。

感情一体化グループの人は感情がわいたら、自分とその感情の境界線が消え、感情=自分になるわけです。

怒りが出てきたとき、「あ、怒りが来た」ではなく、もう怒りそのものになっている。悲しみがきたとき、「悲しいな」ではなく、悲しみの底に沈んでいる。

これは「感情が強い」のではなく、感情との距離のとりかたを学ぶ機会がなかっただけです。

おそらく、ちゃんと言語化して感情がどのようにわいて、どのように対処するべきかを知っている人はすくないです。

親や教師がそれをできていないこともあり、大人ってこれでいいんだと悪い見本を学んだ人もいるはずです。

その習慣は、どこでつくられたか

「男なんだから泣くな」「そんなことで怒るな」「もっと明るくしなさい」

感情を表現するたびに、外側から修正されてきた人は多いはずです。

だけど感情をおさえることが習慣になると、感情が出口を見つけられなくなります。

内側にたまりつづけ、あるとき一気に出てくることもあります。そのとき、もう自分ではコントロールできないのです。

僕は、どっちかというと逆で社会不適合者になるまで感情をだしていませんでした。

「感動している場合じゃない」

と、きれいな空を見ても自分の感覚をうちけし、なんというか世界が灰色にみえていました。

そして原始仏教といって、たとえばスリランカの仏教を学ぶうちに、すこしずつ感情について知り、感情をコントロールできるようになりました。

資本主義のシステムのなかにいると、

「感情は仕事のジャマになる」

としてあつかうこともあります、そして、それを強制され矯正されることもあります。

そして感情はいき場をなくし、いざ出てきたとき制御不能になります。これは弱さではないのです、心の生活習慣病の一つです。

自分が感情をもっているへ

どうでしょう。いままでを読んで、もしかしたら、

「わたしは感情一体化じゃないかな」

と不安になったかもです。安心してくださいあるポイントを意識することです。それは、

「怒りある」「悲しみがある

という言葉を意識してつかうことです。

「自分は怒りだ」ではなく「自分のなかに怒りがある」

一文字、二文字のちがいですが、それこそ天と地ほどのひらきがあります。

そしてフォーカシングという方法も、自分と感情をわける線をつくれます。

フォーカシングは感情が動いたとき、体のどこかがどう反応しているかに気づく練習をすることです。

胸が重い、喉がつまる、お腹がざわざわする。その感覚を「気のせい」にせず、それを観察する練習です。

自分の感情と本音をわける

感情一体化のやっかいなところは、「これが自分の本音だ」と思いこみやすいことです。

怒っているとき、その怒りが正しいと信じてうたがわない。悲しんでいるとき、その悲しみが永遠につづくように感じる。

感情に飲みこまれているあいだは、それが現実ととらえがちです。でもマボロシのようなものです。幻想オブ幻想です。

感情は波のようなものです。

砂浜に来ては去っていく波のようなものです。

たとえば脱サラしたい、移住したい、自分らしく生きたい、と思いながらも一歩が踏み出せない。

そんな人のほとんどは、「どうせ無理」という思考がうまれます。

さらに不安や恐怖の感情に飲みこまれがちなんです。そして、感情と一体化していると冷静にモノゴトを考えられません。

どうすればいいか。

波がきたときのワクワクした感覚で感情をみることです。

「お、きたぞ来たぞ、うっひゃー!」

とワクワクすることです。確実に変な人ですが、感情にのみこまれるくらいなら、そっちのほうが人生は楽しいです。


感情は、あなたの敵じゃありません。

感情は神さまと人生最後のときに話をする土産話のようなものなんです。どうせなら、たらふくの土産話をもって神さまにあいたくないですか?