これまでの心の生活習慣病をみて「治さなきゃ」と考えましたか。
どうせ無理グループ、体と心が別物グループ、感情一体化グループ、他者依存グループ、比較中毒グループ。このシリーズを読んで、「自分はこれだ」と気づいた瞬間、次に来るのは、
「どうにかしなければ」
というあせりです。僕もそうでした。
でもですね、でもですよ。
「よしよし」というだけでいいんです。自分にむかって「よしよし」を使っていますか?
子どもが転んだとき、犬がこわがっているとき、人は責めるのではなく「よしよし」と言いますよね。
今回は、自分の心の習慣に対しても、その「よしよし」ができるようになるための練習についてです。
Q. 心の生活習慣病は、治すものじゃないんですか?
A. 治すということは、それがダメだと決めることでもあるんです。確かに生活に支障があるので治すべきですが、それはその存在をけすということじゃなく、それを「いてもいいよ、いなくなってもいいよ」と存在をみとめてあげることかなと思います。
Q. 「よしよし」と受けいれることは、あきらめることとちがうんですか?
A. まったくちがいます。あきらめは「どうせ変わらない」と自分に言い聞かせることです。「よしよし」は「変えようとするのをやめる」のではなく「戦うのをやめる」ことです。戦いをやめたとき、はじめて習慣の正体がよく見えてきます。くわしくは本文を読んでみてください。
治そうとするほど、深みにはまる理由
心の生活習慣病に気づいた人がやりがちなことがあります。
「よくない妄想をしている自分」を見つけたとき、すぐにそれを打ち消そうとすることです。
「どうせ無理と思っちゃいけない」「くらべるのをやめなきゃ」「もっとポジティブにならなきゃ」
でもこれ、うまくいきません。そんなことをすすめるセラピストやヒーラーもいますが、僕はその立場ではないです。
「シロクマのことを考えるな」と言われると、シロクマのことしか考えられなくなるのと同じです。
「どうせ無理」を打ち消そうとすればするほど「どうせ無理」はつよくなります。
これは脳や無意識とガチタイマンはるようなものです。それは鷲尾郷太が芹沢多摩雄にケンカうるくらい無謀です。
長年かけてつくられた習慣は、力でねじふせるより、そっと観察するほうがずっとあつかいやすいんです。
治そうとするエネルギーを観察するエネルギーにつかう。それだけで、ずいぶん楽になります。
習慣病は、あなたらしさの一部でもある
ここで少し、乱暴な話をします。
「それじゃ、いままでなんだったんじゃ〜い」
とツッコミたくなるかもです。
「どうせ無理」グループの人は、リスクを先に見る目を持っています。
「体と心が別物」グループの人は、感情を切り離して物事を進める力を持っています。
「感情一体化」グループの人は、感情の振れ幅が大きく、深く感じられる人です。
「他者依存」グループの人は、人の気持ちを読む感度が高い。
「比較中毒」グループの人は、向上心のアンテナが敏感です。
どれも、その人にしかない感覚です。
東京にいたころまでの僕は、
「自分には生きている価値がない」
と本気で信じこんでいました。30年以上そう思いつづけていたんです。
でも、ふと思えたんです。それがだれかを助けられるギフトなのかもしれないと。
そこで得てきた失敗、それを乗り切った成功体験がだれかの「自分は無価値」という思いこみを外すことができるはず、そう思えるようになりました。
心の習慣病は病気ですが、あなたが生きのびてきた証拠でもあります。
「よしよし練習」をやってみましょう
ここから少しだけ、一緒に練習をしてみてください。
むずかしいことは何もありません。このまま読みながらやってみてください。
ステップ1|まず、呼吸をととのえる

背筋をすっと伸ばして、肩の力をぬきます。口からゆっくり息を吐きだします、吐ききったら鼻から自然と空気がはいってくるのを感じます。それを3回だけやってみましょう。
呼吸が少し深くなったな、そう感じられればOKです。
ステップ2|体のどこかにある違和感をさがす

呼吸をととのえながら、体のどこかに違和感や重さや引っかかりがないかスキャンします。
胸のあたりが少し重い。喉のあたりがつまった感じがする。お腹がざわざわしている。肩がこわばっている。
なんでもいいです。「ここかな」という場所を、ひとつ見つけてみてください。
見つからなくてもいいです。わからないもひとつの感覚です。
ステップ3|その感覚に、名前をつける

見つけた違和感に言葉をあてはめてみます。正確じゃなくていいです。なんとなく重い感じ、ざわざわ、もやっとなどなど。
それが、あなたのなかにいる心の習慣のひとつです。
ステップ4|「よしよし」と言ってみる

心のなかで、その感覚に向かって言ってみてください。
「お。出てきたな。よしよし」
声に出せる環境なら、小さく声に出してもいいです。責めなくていい。追いはらわなくていい。ただ、そこにいることを認めてあげるだけです。
これがフォーカシングの入り口です。
「感覚に気づき、言葉をあてはめ、そっとそこにいさせてあげる」
それだけで習慣病は力をゆるめます。同時に体のどこかがゆるみます。
「お。また来たな」が言えるようになるまで
最初はうまくできなくてあたりまえです。
「よしよし」と言おうとしたのに、気づいたら「またこんなこと考えて」と自分をせめていた。それでいいんです。
ちょっとでも気づけたら練習は成功です。
これは僕がホ・オポノポノで、
「ありがとう、ごめんなさい、ゆるしてください、あいしてます」
をとなえて得た感覚です。
習慣病を消そうとするのではなく、そこにいる「こいつ」と少しずつ顔なじみになっていく感覚をもってみませんか?
たまにはSoraでもながめましょ、という言葉を僕が使いつづけているのも、ただ、そこに空があることに気づくだけでいい。
すばらしくなくても、うつくしくなくても、そこにいるだけでいい。
あなたの内側に「よしよし」をするのも一緒です。
あなたにとっての「よしよし」は、どんな言葉ですか? どんな場所で、どんな瞬間に、それが言えそうですか?
深呼吸して、少しだけ自分の内側にあるサインに気づいてみてください。